うちわについて uchiwa

京うちわの歴史

うちわの起源は古く、中国の周時代(前三世紀)にはすでに存在していたといわれます。
同時期のエジプトラムセス二世の墓地壁面にもうちわは描かれており、中国からエジプトへ伝わったものと考えられています。

うちわは古来より、涼をとるだけでなく、祭礼などで貴人や女性が顔をかくすために用いられました。
また、東南アジア、西アジアを含む広い地域で、虫を追い払い邪気や悪霊を払うものとされてきました。

日本へ伝わったのは六、七世紀頃と考えられ、うちわで顔をかくすスタイルは日本の宮廷の貴女たちにも模倣されるようになります。
飛鳥時代の高松塚古墳の壁画には、当時のうちわを手にした人物が描かれています。

今日のうちわのルーツは、

中国月扇…一本の竹を柄の部分を残し細かく割り、放射状に広げ紙を貼ったもの
朝鮮団扇…木または竹で挿柄したもの
南方系葉扇…檳榔樹の葉などで作ったもの

の三つの系統に分けられ、京うちわは中国・朝鮮の流れを汲むものとされています。

うちわの形態は様々に派生し、
近代以前のものでは、「鳥獣戯画」に見られる竹などを編んだ「あじろ団扇」、武田信玄のものが特に有名な「軍配団扇」などがあります。
十六、七世紀頃には竹を割った骨に紙を貼る現在のうちわの基本形が生まれます。
十八世紀末には、さらさ団扇、奈良団扇、本渋団扇などが各地で盛んに生産され、役者絵などの華やかなうちわが作られました。

その中で京うちわは、千年の都、京都でその豊かな風土と文化に育まれながら創意工夫を重ね、他地方には見られない繊細優雅な美しさを持っています。

京うちわは、細骨を一本ずつ放射状に並べた団扇面に、別に作られた把手を組み合わせる「差し柄」の構造が大きな特徴です。
「都うちわ」とも呼ばれ、宮廷でも用いられてきました。
その為、原材料には細心の注意が払われ、竹は嵯峨の四〜五年もの、柄はしばしば漆に金彩をほどこすなど優美を極め、その高度な技術を今日に伝えています。

最高の造形的工芸品、それが「京うちわ」です。
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