うちわについて uchiwa

阿以波の歴史

うちはより ふきおこさなむ 家のかせ さかゆく千代に すえひろかりて

家業永続とその発展を顧客の御愛顧の賜として、更に家業に精進すべく、七代目長兵衛の誓った「一枚起請文」の一節です。
阿以波の歴史は、世は泰平を謳歌し人は華麗絢爛にはしった元禄二年、初代長兵衛(近江屋長兵衛)が近江国高島の“あいば”より京に出て店を開いた時に始まります。

以来三百年の永きに亘り、業界の長老として、禁裏御用を中心として製作に励み、明治以後は新しい発想で様々なうちわを世に送り業界を牽引してきました。

当家は七代目長兵衛の頃、大徳寺管長松雲老師の命名で江月堂「阿以波」を名乗りました。
その名は、静と動の禅語「江月照し、松風吹く」に由来します。

それまで多くの絵師を抱え版画の図書出版も行ってきた当家は七代目をもって団扇専門店となり、その時期に初めて、当家の擁する印刷技術で京うちわの量産が行われたと伝えられています。
七代目は「一枚起請文」をもって団扇専門店としての当家の経営哲学を確立しました。

うちわ一筋、うちわに全精魂を打ち込むこと。
そして「温故知新」―それが饗庭家に連綿として流れる経営指針です。

日本でも最高といわれる当家のうちわコレクションは「温故」に欠かせないものであり、現当主がその創作と完成、定着に懸命の努力を続ける「透かし団扇」における造形工芸の研究開発は「知新」の行動なのです。
大徳寺管長松雲老師は、こう書き遺しています。
「子孫長久と繁栄を願望して遺すべき宝は金銀でもなく、書籍でもなく、陰徳を積んで子孫に遺すことが第一である」
この考え方が、最良の材料と道具と磨きぬかれた団扇師の技能を育てました。

そして、そこから生み出される有職京団扇本舗 阿以波のうちわは、京都の伝統美術工芸品として、他には見られない美しさを放ち続けています。
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